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執筆者の写真上の助空五郎・Soragoro Uwanosuke

産婆生ましめんかな

2021.8.9

samba de uma nota so / Joao Gilberto


産婆生ましめんかな / Soragoro cover


8月6日広島、9日長崎。10年ぐらい前にこの詩「生ましめんかな」に出会った時、なぜか分からないまま涙が溢れてきて、あれから毎年読むようになった。ボサノヴァの代表曲One note samba / 一つの音のサンバを聴いてたら、一つの命と産婆に脳内変換されて栗原貞子さんの詩を口ずさんでいた。


最も非人間的で罪深い原爆投下という行為がされた同じ日に、最も尊い生命の誕生という行為も起きていた。

生命は強い。原爆さえも吹き飛ばすように生まれてきた生命。地獄の底のような環境にも喜びをもたらす生命。そしてそれを自分の生命と引き換えに生ませたサンバ、産婆。生命は巡る。忘れないように歌にしました。




『生ましめんかな』

栗原貞子


こわれたビルディングの地下室の夜だった。


原子爆弾の負傷者たちは


ローソク1本ない暗い地下室を


うずめて、いっぱいだった。


生ぐさい血の匂い、死臭。


汗くさい人いきれ、うめきごえ


その中から不思議な声が聞こえて来た。


「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。


この地獄の底のような地下室で


今、若い女が産気づいているのだ。


 


マッチ1本ないくらがりで


どうしたらいいのだろう


人々は自分の痛みを忘れて気づかった。


と、「私が産婆です。私が生ませましょう」


と言ったのは


さっきまでうめいていた重傷者だ。


かくてくらがりの地獄の底で


新しい生命は生まれた。


かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。


生ましめんかな


生ましめんかな


己が命捨つとも


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